「はやぶさ」の帰還、および感想。

足かけ7年を掛けて「はやぶさ」が帰ってきた。

「宇宙」という莫大な広さの3次元空間(日常生活と違って、「上」にも「下」にも方向がある)へ独りで打ち上げられ、小惑星イトカワ」へ孤独と共に向かう。
その道程では3器搭載されているエンジンが1つ停止したり、充電が切れたり、いろいろなトラブルがあった。


はやぶさ」をナビゲートし続ける管制室にはリポビタンDの空瓶が山のように積み重なり、
常に誰かが「はやぶさ」の稼働状況をチェックし続ける。
はやぶさ」が進むのは、宇宙だ。
宇宙でのトラブルは、航空計画や機体がその時点で停止/終了する危険性を抱える。
地上で発生したトラブルなら機械を空けて故障箇所を調べ、原因を特定して適切な処理をすれば解決する。
だが、宇宙には誰も手が届かない。届くのは、唯一、電波だけ。
その電波だって、必ず届くわけではない。


それでも「はやぶさ」はイトカワに着陸し、試料を採取し、再度のトラブルを乗り越えて地球へと帰ってきた。


漫画「プラネテス」の登場人物「タナベ」は、
宇宙葬として外宇宙に打ち出されたのに偶然帰ってきた棺桶を持ち上げて
「宇宙は 独りじゃ 広すぎるのに」と叫んだ。


確かに宇宙は広すぎる。
だが、はやぶさは独りじゃなかった。


JAXAの人たち、管制室の人たち、精度の高いパーツを作り上げた人たち、
そして計画自体には関係がないけれども、それぞれの場所で応援していた人たちがいた。
彼ら/彼女らはTwitterUstream、ニコ生などのネットワーク上で中継映像を見ながら、
カプセル投下予定の現地オーストラリアで「はやぶさ」の最後を見届けようとしながら、
玄関のすぐ外やオフィスの中、マンションのベランダなどで空を見上げながら、
それぞれが生きている時間とそれぞれが生きている場所の一瞬を使って、
心からの「おかえりなさい」を空へと打ち上げただろう。


はやぶさ」は、単なる機械だ。人が作った、作業用の精密機械でしかない。
だけど、その単なる機械に想いをこめて「おかえりなさい」とつぶやく人たちは素晴らしく尊い